2月2日(日本時間3日)、年間最優秀コーチを2度受賞し、1981年にボストン・セルティックスをNBA優勝に導いたビル・フィッチ氏が亡くなった。89歳だった。インディアナ・ペイサーズのリック・カーライル・ヘッドコーチを通じ、フィッチ氏の娘が明かした。
フィッチ氏は25年にわたってNBAで指導し、1996-97シーズン中に歴代ベストコーチのトップ10のひとりにも選出された。クリーブランド・キャバリアーズ、ボストン・セルティックス、ヒューストン・ロケッツ、ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ、ロサンゼルス・クリッパーズと5つの異なる球団で指揮を執った。1975-76シーズンにキャバリアーズで、1979-80シーズンにセルティックスで、年間最優秀コーチに選ばれている。
「キャプテン・ビデオ」の愛称で知られるフィッチ氏は、対戦相手の分析やタレント発掘のためにビデオ映像を使った最初のコーチのひとりだ。どの球団でも再建する力を見せた。
1970-71シーズンにキャバリアーズの初代コーチとしてNBAコーチデビュー。チームは5シーズンで徐々に成長し、1976年に初のプレイオフ進出を果たすと、前年度のイースタン・カンファレンス王者だったワシントン・ブレッツを「リッチフィールドの奇跡」と言われる第7戦の末に下した。
1979年5月21日(同22日)にキャバリアーズの指揮官を退任したが、2日後にセルティックスのヘッドコーチに就任。同時にスター新人で将来の球団の象徴となるラリー・バードも加わり、セルティックスはここからの4シーズンで復活を遂げる。
前シーズンは27勝だったセルティックスを率い、フィッチ氏は1979-80シーズンに61勝21敗という成績を残し、イーストのファイナルに導いた。フィッチ氏が指揮を執った4シーズンのうち3シーズンでセルティックスは60勝をマーク。1981年にはファイナルでロケッツに勝利して優勝した。
セルティックス退団後は、1982-83シーズンを14勝で終えていたロケッツの指揮官に。1984年にドラフト全体1位指名でアキーム・オラジュワンを加えると、すでにオールスター選手のラルフ・サンプソンも擁していたロケッツの運命は一変する。
1985-86シーズンには、プレイオフで再び番狂わせを演じ、トップシードのロサンゼルス・レイカーズを相手に第5戦で勝利。ロケッツにとって2度目となるNBAファイナルに駒を進める。ただ、ファイナルではバードらを擁する古巣セルティックスに2勝4敗で敗れた。
1987-88シーズンのプレイオフ・ファーストラウンドでダラス・マーベリックスに1勝3敗で敗れ、ロケッツから解任されたフィンチ氏は、1年後にネッツの指揮官に就任。1年目の1989-90シーズンは17勝65敗だったが、1991-92シーズンには40勝をあげてプレイオフに進出した。
1992年のプレイオフ敗退後、フィンチ氏はネッツの指揮官を辞任。2年後、1994年にクリッパーズで最後の指揮を執った。ここでも1年目は17勝65敗だったが、1996-97シーズンにはプレイオフ進出。続く1997-98シーズンは再び17勝65敗に終わり、フィンチ氏は指導者キャリアを終えた。
2013年に全米バスケットボールコーチ協会のチャック・デイリー生涯功労賞を受賞。2019年にネイスミス・メモリアル・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム(バスケットボール殿堂)入りを果たした。フィル・ジャクソン、レニー・ウィルケンズ、リック・カーライル、ラリー・バード、ダニー・エインジ、エディ・ジョーダン、ケビン・マクヘイル、ライオネル・ホリンズなどが、フィンチ氏とともに、あるいは同氏の下で指導した。
原文:Hall of Fame coach Bill Fitch dies at age 89 by NBA.com(抄訳)