大谷翔平だけじゃない、世界に名を轟かせた日本のレジェンドアスリート

2021-12-11
読了時間 約2分

「ショータイム」は太平洋の架け橋

2021年の大谷の表彰は,米国と日本を併せて十数個に及び、「2日に1度の割合で発表された感じ」と言われるほどである。打者として45本塁打、投手として9勝を挙げた二刀流の評価は想像以上に高かった。

活躍した米国ではア・リーグMVPをはじめ、球界、メディアから数多くの表彰を受けた。選手として最高と思われるのが選手間投票で選出された「ナンバーワン選手」。大谷の満足度、感動は最高だったと思う。

そのブームはふるさと日本に飛び火した。「正力松太郎賞」の特別賞に選ばれている。そして流行語大賞の「ショータイム」である。このセリフは米国のアナウンサーが発したもので、いわば“輸入言葉”。衛星放送の影響、効果は恐るべしである。

表彰決定の度に大谷は「うれしい」と素直に答えている。その初々しい姿に日本の人々は“我が理想の息子”と笑顔で受け入れてしまう。米国発の「ショータイム」は太平洋の架け橋を渡って日本にやって来た。

日本復活の象徴だった「フジヤマのトビウオ」

1950年8月15日、日本終戦。焼け野原の中で国民に希望を与えたのがスポーツだった。秋には野球が復活し、11月にはプロ野球の東西対抗が行われている。多くのファンが神宮球場をはじめ各球場に詰めかけた。

その直後に登場したのが水泳の古橋広之進。日大時代に自由形で泳ぐ度に、未公認ながら世界最高記録を連発。49年8月、全米選手権(ロサンゼルス)に招待され、400メートル、800メートル、1500メートルで世界記録を樹立。米国のメディアが「フジヤマのトビウオ」と報じた。このネーミングは大谷の「ショータイム」と同じ“輸入言葉”で、日本全国に広がり、古橋の生涯の代名詞となった。

52年のヘルシンキ五輪ではメダルに届かなかった。全盛時代を過ぎていたからである。そのとき、日本の中継アナウンサーが「日本のみなさん、古橋を責めないでください」と涙声で伝えた。英雄を讃えたエピソードとして残る。

日本初の世界チャンピオンは「視聴率96%」

古橋が敗れた52年のことである。5月19日、ボクシングの白井義男がフライ級の世界タイトルを奪った。日本ボクシング界初の世界チャンピオンが誕生した瞬間だった。相手は米国のダド・マリノ。15ラウンドを戦い判定勝ち。その直後のリターンマッチでも破り、ベルトを防衛した。ラジオで聞く国民が声を挙げて応援した歴史的な出来事だった。古橋を引き継ぐヒーローの登場は国民に強さを呼び起こした。

このレジェンドも敗れる日が来る。55年5月、リーチの長いパスカル・ペレス(アルゼンチン)に5回KO負け。今度は無念の涙が全国を覆った。それでもテレビ中継の視聴率は、96%を超えた、と伝えられている伝説のタイトルマッチだった。

この白井は所属ジムを持たない唯一のチャンピオンでもあった。欧米式のマネジメントで、生物学者のアルビン・カーン博士の科学的指導を受けて頂点に上り詰めた。「打って避ける、避けて打つ。打たれてはだめ」。これが白井の語る必勝法だった。

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テレビ時代の伝説となった「空手チョップ」

日本にテレビが普及したきっかけともいえるのがプロレスの中継だった。1950年代から60年代。テレビを持つのは裕福な家庭で、プロレス中継のある夜は近所の人たちが「テレビを見せて下さい」と押し掛けた。喫茶店もそれで満杯になった。

その主人公が力道山。大相撲の関脇にありながらマゲを切り落とし、米国に渡ってプロレスラーに転身した。54年、米国からシャープ兄弟が来日。タッグマッチで終盤不利になると、力道山が空手チョップで大男をやっつけるのである。街のいたるところで歓声と拍手が起きた。

と同時に力道山の映画「怒涛の男」が上映され、美空ひばりが主題歌を歌った。「男一途に やるときめて…」「雨を風を 笑顔で受けて…」と。力道山ブームは全国に生き渡った。63年の“噛みつき男”ザ・デストロイヤーとの一戦は視聴率60%を超えた。

大リーグの本塁打記録を抜いた「フラミンゴ打法」

そして世界のホームラン王となった王貞治の登場である。77年(昭和52年)9月3日、後楽園球場のナイター。ヤクルト戦で通算756号ホームランを放った。右翼席中段に突き刺さったライナーは、この年の第40号でもあった。

当時の大リーグの通算最多ホームランはハンク・アーロンの755本。王は前年の10月にはベーブ・ルースの714本を抜き、大リーガーたちを驚かせた。日本での「一本足打法」は、その形から米球界では「フラミンゴ打法」と紹介された。大谷の「ショータイム」とは逆で“輸出言葉”といったところである。

この年は開幕から大リーグ記録挑戦としてフィーバー状態。記録達成と同時に皇居に近い高層ビルに「祝・王756号」と点灯。全国興奮状態だった。「丈夫な体に産んで育ててくれた両親に感謝したい」と語った王の人柄にまた拍手だった。

大谷の正力松太郎賞特別賞は選考委員長がこの王。「アメリカはやはりホームランなんだね」と祝辞を贈った。通算868本塁打でギネスブックに載った自分を改めて思い出したのだろう。

「フジヤマのトビウオ」「視聴率96%」「空手チョップ」「一本足打法」は、いまなら間違いなく流行語大賞だろう。大谷はまさにIT時代の象徴。日本スポーツ界のレジェンドに名乗りを上げたといえる。


著者プロフィール

菅谷 齊(すがや・ひとし)1943年、東京・港区生まれ、法大卒。共同通信で巨人、阪神、大リーグなどを担当。1984年ロサンゼルス五輪特派員。スポーツデータ部長、編集委員。野球殿堂選考代表幹事を務め三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。大沢啓二理事長時代の社団・法人野球振興会(プロ野球OBクラブ)事務局長。ビジネススクールのマスコミ講師などを歴任。法政二高が甲子園夏春連覇した時の野球部員。同期に元巨人の柴田勲、後輩に日本人初の大リーガー村上雅則ら。現在は共同通信社友、日本記者クラブ会員、東京プロ野球記者OBクラブ会長。

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